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2012/08/26/ 「荒尾干潟 ラムサール条約登録式典」「ラムサール 学びの海シンポジウム in 荒尾」
 
阿蘇地区パークパークボランティアの会から「ラムサール 学びの海シンポジウム in 荒尾」開催の案内がありました。
主催:熊本県 後援 環境省九州地方環境事務所・熊本県教育委員会
開催場所 荒尾文化センター
 
友人が会員になっている日本野鳥の会 柳生 博会長がパネリストの一人と知り、一度話を聞くのもよいチャンスと参加することにしました。
 
案内状では「現在のところ、参加者が少ないようです。」と、ありましたが、驚きました。会場に40分前に着いたのに駐車場が近所はどこも満杯。探しまわって20分かかり受付に着きました。会場の外まで聞き覚えのある声が漏れてきます。NHK-tv で聞いた柳生博氏の声です。「荒尾干潟 ラムサール条約登録式典」があっていたのです。ドアを開けると柳生博氏のお話の最中でした。呼ばれていないRiroでしたが折角の機会です。中に入り写真も撮ってきました。
 
ラムサール条約については ここをクリック されてください。
「ラムサール 学びの海シンポジウム in 荒尾」が始まりました。友人のおかげで鳥さんにも興味が出始めていましたので、シンポジウムの話がすーっと入りこん出来ました。中でも、柳生博会長の「コウノトリ復活」の話と、それに続き「3月21日東日本大震災の後に、野生に帰っていたコウノトリが千葉県の液状化発生地へ飛んで行き、その後、茨城県、福島県、仙台、岩手県、青森県へと飛んで行ったことが確認されたときに涙が出た。」と、話されたのが印象に残りました。
 
三池炭鉱に勤務されていた安尾征三郎氏という炭鉱マンの方が、炭鉱勤務の時に、有明海に作られた島「人工島」の空気取り入れ口に鳥が吸い込まれて海底深いトンネルの下に落ちたのを救ったのがきっかけで、行政や三池鉱業所に粘り強く働きかけて、空気取り入れ口の周りに柵を作らせたことにより、以後、鳥の犠牲がなくなったとの話には感銘を受けました。その後、荒尾干潟に飛来する鳥たちの観察を続け、季節ごと、種類ごと、数、そのパーセントまでも長年に渡り調査をしデータを積み上げられていたことが、ラムサール条約に登録された大きな要因となったようです。本物の観察とは凄いことだと思いました。
 
戦前戦中は荒尾干潟にはたくさんの魚介類がいたが、海産物が取れなくなっていること、他、質疑応答では諫早湾干拓事業の荒尾干潟への影響や、あまりに鳥がいるので干潟が糞で臭いということなど一寸微妙な問題もありました。他にも、今後の課題と対策など種々ありましたが、このへんで・・・。
 
結論としては「荒尾干潟 ラムサール条約」に登録された今後の保全活用が大事であること。荒尾干潟は世界的に見ても立派な干潟であり郷土の宝誇りであると。
 
「昔は濡れて輝く日本列島 一番大きな干潟は田圃」と話され見栄を切る姿 柳生会長は千両役者。
3枚大きな写真をアップします。





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