「立田山は花盛り? 」
 
立田山ヤエクチナシコーナーをご覧ください。
 
数年後には立田山を「立田山ヤエクチナシ」で埋めつくそうとの壮大な宮崎構想が実現するのですよ。
熊本記念植物採集会名誉会長 最後の旧制第五高等学校入学生。その後熊大教授も務められました。熊本県植物分野の最高権威者と言っても過言ではないと思います。宮崎君も解説に熱が入ります。

 
右:市役所から
中:熊本記念植物採集会理事高橋先生
 

 
聞いています。聞いています。美女軍団。
 

 
未だ未だ続きます。興味津々聞いてます。
 
中:(財)林業科学技術振興所を退職されるまで数十年間、退職後も、つい最近まで自生の立田山ヤエクチナシを求めて、立田山山中を探し続けてきた長友さんです。Riroは立田山ヤエクチナシに関する資料集めで、当時の熊本市教育委員会文化財課も訪ねました。職員の方は段ボールに詰めてあった資料と、共に、『一寸待って下さい。本人に連絡して、「会ってもいいよ」と言われたら紹介しますから』と、親切に対応していただきました。この写真の長友さんです。長友さんは多くの資料を所持してました。数回通ううちに、もうこれを見せてもいいだろうと持ち出して、全部の資料を残らずコピーしていただきました。その中に「これは見てもわからんがコピーして行くかい」と。立田山ヤエクチナシを世に知らしめたドイツ語論文もありました。わからないのは当然ですが、これも持ち帰りました。宮崎君が西山立義君に翻訳を依頼しました。仕事の傍ら西山君は翻訳を完成させました。後に、「TYK(立田山ヤエクチナシ)井戸端会議4人組」の1人である九大名誉教授も独自にドイツ語論文を知り、初のドイツ語論文完全和訳が完成しました。柴田さんは調査初期の段階で国会図書館に出向き立田山ヤエクチナシ自生地の地図に関する資料を探してくれました。宮崎君の叡智を振り絞る研究と自宅の庭に立田山ヤエクチナシの実をポットに100鉢以上を育て、観察、記録、研究成果に、森林総研の研究者も驚かれているようです。
まるで親子みたい。右「(営林局勤務・後に)監物台樹木園の元園長さん」。ピーンときた方は拙作「肥後六花と大阿蘇に咲く花」を初めの時からよく見て頂いた方です。Riroを阿蘇に連れ出して頂き、貴重な花々を教えて頂いた先生・大恩人です。宮崎君のお父さんを御存じだったのです。世の中は狭い!。
宮崎君には、きっちりと樹木に関するお父さんのDNAも組込まれていたようですね。立田山ヤエクチナシ研究がそれを証明しているのではないでしょうか。
右:熊大教育学部の教授であり、NPO法人阿蘇花野協会副会長をされているRiroが大変お世話になっています山中教授に、大学入試の忙しい中を知りつつもメールを差し上げました。来て頂きました。くまなく見て頂けました。大変うれしくありがたく思いました。教授には特に「立田山ヤエクチナシの研究」に大変興味を持たれたのでしょう。長時間宮崎君の解説を聞きながら、質問を重ねられて、「お茶が入りました」の案内にテーブルについても更に熱心に宮崎君と話しこまれていました。

 
二人も立田山ヤエクチナシの解説をしっかりと聞いています。
 


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