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2の1:刈り干し切り

Photo:Karihoshi kiri
(Photo: © Riro Yoshioka)
NPO法人阿蘇花野協会が契約した2人のプロが作業中です。プロ4人で1日1ヘクタール刈り取るそうです。
指導を受けた15人ほどの協会員が作業をしました。残り10名ほどは狭い境界道の草刈りをおこないました。
 
 NPO法人阿蘇花野協会主催「刈り干し切り・草刈り」に参加しました。機械を肩からかける刈り干し切り作業は40歳台以下のメンバーに任せて、私は斜面を避けて大きい鎌で草刈りをしました。鎌は中学以来触ったことがありません。大きくて初めは戸惑いましたが段々と慣れてきました。3時間半ほどの作業でしたが鎌を握る手はがたがた、厳しい暑さも重なり疲れました。ススキが大きくなると根に栄養が周り翌年更に大きく成長するので、そうさせないように本来8月頃に行うのが良いそうです。本協会ではそのタイミングでは出来ないので10月になって刈り干し切りをしました。刈り干し切りや草刈りの意義は牛の飼料と野焼きの時の防火帯作り、それとススキを適度に押さえていくと、多くの花が復活してくるからだそうです。驚いたことには植林された場所でさえも、樹木を切り出し、野焼きと採草を繰り返し行い、適度にススキを押さえていくと、種子を散布しなくとも、数年後には「花野(はなの)」が出現するそうです。疲れはしましたたものの参加してよかったと思います。

2の2:「花野 (はなの) 」とは


『「花野 (はなの) 」について NPO法人 阿蘇花野協会 パンフレットから

「花野」は秋の野辺。ススキの穂が波打つ草原に、秋の七草をはじめとする可憐な植物たちが咲き誇る世界です。

「花野」はかって、阿蘇では当たり前の風景でした。農耕牛を育てるために、春から夏場は「朝草刈り」、秋になると「刈り干し切り」をして飼料を確保し、この採草の繰り返しによって「花野」は維持されてきたのです。
しかし、昭和40年代、農業の近代化や化学肥料の利用、畜産業の低迷などによって、草原の存在そのものが危うくなるに至りました。草原が失われていくことで、阿蘇の野の花は生きるための場所を失い絶滅の危機に追い込まれています。阿蘇の地で何万年と生き続けてきた多くの花が、今まさに姿を消そうとしています。
農家の減少、放棄地の増加などによって採草地は激減しており、この10年間で半分ほどになっています。』
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